TAROやおや’s blog

仙台で無農薬の野菜をセットにして配達しているやおやです。

畑の思いを抱えて、街を耕す

芸術(作品作り)

なんとなく最近、感じているのは
ぼくの仕事は「商売」や「職人」というより
芸術としての完成を目指して
「無農薬野菜の配達」をしている気がするんです。
そう考えるといろいろすっきりくるんです。
 
これ、たぶんだれにもわからない感覚だと思いますが、
でも「通じない芸術」=「自己満足の世界」なのだと
思われるというのも
ちょっとさびしいので、少し補足します。
 
25年くらい前「有機野菜」の流通販売に
携わっていたとき
ぼくはその仕事を通じ販売することで
無農薬の畑を広げ、消費者の意識を変えていく
運動をしていたつもりでした。
 
そう、あのころ、あれは「運動」だったんです。
農薬のことを伝え、そこから
意識を一歩ふみだしたお客さんや
無農薬農家の生活のお手伝い。
 
けれど店舗販売では
完全無農薬野菜は不安定すぎました。
それで、規模が大きくなるにつれ
意に沿わないものを販売せざるを得なくなり
市販品よりいいものを売りながらも
なんとなく気持ちが後ろ向きになっていきました。
 
で、月日が過ぎ、最近思うのは、
あのとき目指していた無農薬の販売を
いま、こじんまりとやっているわけですが、
無農薬野菜って、いわゆる「野菜」の
最上系とはちがうんじゃないかということなんです。
需要も供給も、みなが目指せるものではないということ。
「運動」ではなく芸術スタイルというか。 
 
このへんはあくまでもぼくが今の時点で
感じてることなんで、気を悪くしないで下さいね。
たとえば無農薬といってもいろいろ方法論はあって
不耕起、自然農法、ぼかし、動物堆肥
落葉のみ、EM菌、酵素、など農家の
いろんな考え方、こだわり、祈り。
それぞれできる野菜は違う。
 
結果ではなく、姿勢が大事と言う、
それはまさに芸術を追求する姿勢なんじゃないかと。
農家はもちろんですが、
できた野菜をいちばんいい状態のまま
お客さんに届けてこそ完成する形ということが、
ぼくの仕事で。
 
そしてそれは食べていただく料理方法にも
及び、さらにいえば
食べていただいたかたの、生き方まで
含みます。
 
お客さんも参加していただいているということなんです。
 
 
 
 
そう、今度「参加するものが、作る場」ということで
「感じる」をテーマにイベント…
無農薬畑で「芋煮会」をします。
それは今、途上の日々という
その思いの、ひとつの具体的な表現のつもりです。
 
なにがいい、なにがよくないという
大上段からの批判や「運動」はもうできない自分ですが
互いに喜びを発見し、認め合う、ことは、まだできます。
 

基本セット5品1000円 標準セット6品1200円 満足セット7品1400円 大盛セット10品1950円 特盛セット13品2500円 他、ご要望に応じて苦手なものは他の野菜に入れ替えたり、追加注文可能です。