なかなか無農薬で生姜は難しく
挑戦するも、出来る場合と出来ない場合と
半々のようです。
今年も幸い生姜をお届けすることが出来ていますが
たぶん一回だけかな…。
そんな感じなのでいま、書きます。
生姜を切りながら感じた今の気持ち。
生姜を切り分けます。
セラミックの包丁で。
毎年、生姜を切っていて
あーまたこのシーズンがやってきたと
過ぎた季節を思い、これからの
切り分ける作業のふえる冬までを思います。
それと。
どうして生姜ってこんなに魅力的な
形をしているの。美しいです。
それを切ってしまうぼく
自分に罪悪感を感じながら
一方で、心地いい特権みたいなものを感じていたりします。
ああ、でもね、やっぱり切りたくないんです。
ほんの20グラムを揃えるために
きれいな一個の塊を
ずたずたに切るなんてこと。
できるだけ、切るのは生姜が
切っていいと、言ってくれるとこだけ
選んで、切っています。
そして袋にはできるだけ塊ごとに分けて
入れるように。
多少ひとりひとり差があります。
だけど年間通せば
その小さな差というのは
多いときもあり少ないときもあり
平均として成り立つんじゃないでしょうか。
そんなことを考えつつも
形を生かして(残して)切ることに
喜び、を見いだしています。
なるべくなら切りたくない
そんな気持ちを生姜から
受け取って頂けたら、幸いです。