TAROやおや’s blog

仙台で無農薬の野菜をセットにして配達しているやおやです。

畑の思いを抱えて、街を耕す

地産地消

主軸をきちんともって
事象
振り回されないようにしたいもの。
 
 
 
かのフードマイレージ運動(リンク)は
「海外食品を輸入して
安いものを求めるより
国産を食べよう」という意味で
加工食品や外食のなかに
隠されてしまっているものをあぶりだし
意識しようという運動です。
 
これを言い出した、ある「会」とは
20年前くらい前になりますが、
海外からの輸入バナナを
食べるのをよそう運動を
いっしょにやったことがあります。
 
あのころぼくは
いまよりもっとストイックで
「クルマを使うのがいやだ」と、
東京の自然食品の卸販売の会社で
ひとりで騒いでました。
動物性のものをいっさい
食べなかったのもこのころ。
 
それにしても、いまだに変わらないどころか
もっと巧妙になっている海外食品の輸入。 
意識あるひとびとが、表面でわかる産地に対して
地産地消というのは立派です。
 
でもね。
かくされているものをあぶり出し
食べない選択をするのでなく、
自分たちはせっせと、バナナダイエットにはげむ一方で
地産地消でなければと、悪戯に騒ぐのはどうなんでしょう。
それをしたくてもできない意識ある人たちの
良心に、痛みを与えるのはどうなんでしょう。
 
ここぞとばかりに自分が正義だと仕掛けられても、
返す言葉は、届かない。
ひとの言葉が怖くなる。
 
生産と消費の距離が近いということで
すべてオーケーなわけではないはずなのに、
近くなければ、「悪」という雰囲気を
作り出される風潮の昨今、野菜のない時期千葉や、
九州にお世話になる自分は悪い?
 
地産地消という言葉のロジック。
最近とみに正論過ぎて怖いほど。
じゃあ全部、そう代えられる?
いつも同じ野菜がずっとそこにできるの?
近ければ農薬たくさん使った野菜がいいの?
温室で遠距離以上に重油たくさん使った野菜でもいいの?
冷蔵庫にずっと保管しさらに塩素殺菌していてもいいの。 
なにか単純でわかりやすい方向に
論理がねじまげられてる。
 
スーパーやファストフードで見かけるようになった
名前入りの野菜にしても、結局だれかが作っているのだし
べつにそこで、名前を出したからといって
さしたる信憑性も意味も、もたない。
むしろごまかしの方向に行くのは 必然。 
無理を知らせず、ごまかして調達というのは
よく聞く話です。 
 

ぼくは無農薬農家さんが多大なるリスクをかけて
信念の元に無農薬野菜をいっしょうけんめい
育て作っていることを支え理解あるみんなと
つながるためにこの仕事をしています。
 

世間では簡単にチサンチショウというけれど
ほんとに、一瞬で終わるのが野菜の旬です。
今日は取れたけれど、あしたはもう実がならない。
けれどあっちの畑ではとれそうだ。
そこにある、それを求めて、県内を
これから走り回る時期。
その走行距離、配達含めて終わると
400キロというときもあります。
もっと走ってとりにいけたら
どこまでもとりにいけるのに
かに、地産地消は、大変か
ファッションのように言って欲しくないと
全速力で走りながらいつも、思います。

間違っているかもと思ったら
崩れてしまう思い。
自分のいのちを削るような仕事ではありますが、
自分の思いを、ただ野菜に託して届けています。
 
なんとなく孤独を感じつつ さらに
夜には大事にしたいお客さんからの
メールに返事を返す時間も気力もなくなり
失礼をわびつつ、いつも目の前の仕事におわれる日々。
 
確かな目的があるためできないことがあります、それを 
みなさんには理解して欲しい。 
世の中に対してはだから悪いと排除ではなく、
受け入れてほしいものです。

基本セット5品1000円 標準セット6品1200円 満足セット7品1400円 大盛セット10品1950円 特盛セット13品2500円 他、ご要望に応じて苦手なものは他の野菜に入れ替えたり、追加注文可能です。