TAROやおや’s blog

仙台で無農薬の野菜をセットにして配達しているやおやです。

畑の思いを抱えて、街を耕す

age32

自分のこと、少し話したついでに
ある過去の部分にさかのぼって
思い出した、とある時代のことを、ひとつ。
 
32歳からの数年間、
長崎の佐川急便にいました。
火砕流、土石流、大きな災害があった町。

東京には閉塞感を感じていたぼく、そこでなら
自分に何かできるかもしれないと
テレビで被害を知り、電話で直訴、雇ってもらい
生まれ育った東京から越して、見知らぬ町で、はじめての仕事。
 
佐川ではある大手会社の出荷部門
請負、ぼくが、管理から出庫まで
内実、ひとりでほとんど全部
やっていました。
 
同時にドライバーとして、毎日急送品や
デパートへの大口便などを
朝早くから4トンで運んでいましたから
仕事量としてはものすごいものです。
時間では毎日16時間働いてた。
 
それにそういえば、ドライバーの請求書や見積もりなど
パソコンで作ったの事務仕事もやっていて、
たぶん、職場環境のなかでは
学歴があったせいかだと思うんですが
とにかくなんでも頼まれました。
 
最初のころは実は方言がよくわからず
怒られているのか、普通に話しているのか
内容以前に、そこすらわかりませんでした。
 行かなくちゃだめですか?と聞くと

(いかんばいけんことなかばってん、いかんばいけんやろな。)

…で、どっちなんですか?とまた聞いたりして。
佐川でのいちばん最初の仕事は
まわりの言葉も地名や位置関係もわからないまま
コンベアーでながれてくる荷物の仕分けをしていたから
期待されつつもミス続出で、情けなく思いながら
自分はともかく、東京から来たもんが、とだけは、
いわれないよう、ほかの後からくる人のためにも、まけるもんかと、
がんばり続けました。
 
そのうち前述の倉庫管理担当になり、
東北のとあるコンビニにも出荷が、出はじめました。
取引で、量が出るものの
相手先はものすごくミスに厳しいとこだったので
きつかった。
出荷した後ミスに気づき
なんど佐川の着店の店の担当者に連絡をし
送り返してもらったり、追って着を待って
配達していただいたり。
助けられたことか、いまだに感謝しています。
 
数字をきっちりしなくてはならないこともですが
体力もきつくて。
最盛期には、10トントラックに7台積み込み
出庫させたことがありましたし。
一台に16キロのケースが600個つめるので
4200ケース。
何トンをぼくは一日に持ち上げ手で積み込んでいたのだろう…。
気が遠くなります。
一生懸命やっても正しくて当たり前、ミスすると責められることに、
給料はよかったものの、ノイローゼみたいになりかかけたのも
このころでした。
 
ぼうっとして運転中、夜中に
単独大破する事故をおこして
からだが動かなくなり
 
やがて働く場所を失ったのと同時に
居場所が無くなり、その地を去ったのでした。
東京にも居場所はなく
仕方なくひとり、かつてバブルのときに買い求めた
山間の地
山形の置賜に移り住んだのでした。
 
あのときがあっていまがあるんだなとときどき
思い出すひとコマ。
忘れられないのは、42度熱があって
(体温計振り切りました)
どうしても動けなくて
自宅で寝ていたら、会社からどうしてもきてくれと
電話があり、ふらふらして取引先に行ったら
そこの課長が、2月の寒い風の中、1時間以上も
そとで立って、ぼくを待っていた。
 
ああ、ありがたい、待っててくれる人がいるなら
がんばらなくちゃと思ったことを、
ついこないだのことのように。
 
もし、死ぬ前にもう一度いけるなら、
一番行きたい空間は無我夢中でかけぬけたあのころ、
小さな町のあちこちに記した道標。
 

基本セット5品1000円 標準セット6品1200円 満足セット7品1400円 大盛セット10品1950円 特盛セット13品2500円 他、ご要望に応じて苦手なものは他の野菜に入れ替えたり、追加注文可能です。