この時代、この今の時代。
ずいぶん今までのしがらみを捨ててきた。
そして自由になった。
なにもかも壊して。
だけど、ぼくたちは実はいろんなものに縛られながら
本来、生きているものだったんじゃないかな。
制約の中で、それぞれが生きていたんじゃないかな。
それが不自由で、取っ払いたかったのかもしれない。
けれど、ぼくたちは息が苦しくなっている
先の見えない閉塞感の理由。
本来、ぼくたちはほかの命を食べることや
今までの贈り物によって生きてる。
贈り物…
もともと宇宙からやってきた光や生命によって
ぼくたちは生まれ存在しているわけで
そういう先祖が、たとえばなにかをつなぎ守ってきた
ことをないがしろにして
自由になにをしてもいいというのでは
自分たちの存在場所が宙にうく。
目に見えないしがらみが大事なんじゃないかと
思ったりする。
しがらみって、愛と言い換えられるかもしれない。
ぼくの愛は野菜に対してかも知れないけれど
なにかを愛するというのは、しがらみそのもので
その人を形作る大きな要素。
自分のなかにすでにあった制約を手放し忘れ
そして突然はしごをはずされたかのように
自分がどこにいるか なにをしたらいいかわからなくなり
途方にくれる。
ぼくの自分に課した制約は
無農薬。
それは、むやみに殺さない、壊さない、貸しを作らない。
それはまた一方で自分の得た自由。
無農薬野菜は だから 自分にとって、
たからものの野菜。