精神を、したへ引きずる考えや
誘惑、日常の出来事は多いけれど
うえへ引き上げる考えや
日常、それを教えてくれるものは 少ない
と
いう気がします。
昔は道徳というのがそれだったんだろうし
親がそれでした。
いまは、それらがどこにあるのかな。
自分を自分で抱え守るしかない
だからぎりぎりで、自分がすべてなんでしょうか。
もっと謙虚になにかをとらえることができたなら。
たとえば、
いただきますは、いのちを全部いただきながら
奪い自分が生きるという感謝の言葉だといいます。
そして御馳走様、
お粗末様
また、お陰様でという言葉や、
情けは人のためならず
という言葉も
また大事に抱えたい言葉で
そういう見えないなにかを大事にしている人に
いつも触れていたい気持ちです。
無農薬の野菜は、なにか効率とか
経済とは、違うところに存在していて
なにか、大事にしたいものが
そこに感じていたりします。
自然の力、生命、意志、生産者の思い、つながり
味、形、色、土、
いろいろ。