いじめられっこってのは、自分にしたいことがあり
できることがはっきりしているのに
グループのなかでそれをできずに
できないのに、合わせようとして
けれどやはり無理に合わせられず、
結果浮きこぼれてしまうような価値観を
もっている頑張る子のことをいうように思う。
だから、価値観のあう、そういう場所があれば。
ないなら自分でいまいるそこを出て作ればいい。
大人になると言うことは
そうしたしがらみから離れるちからを
もっているということ。
その気になれば、すでに自分の中にあるということ。
これからは、ますますそういうことが
大事になっていく気がする。
なにかへの所属、従属ではなく
ただ個が個の価値観を創造し
構築していく作業をしていくことを
選択するひとたちが増えたら世の中は少し豊かに広がる。
不安定な価値観の社会の中、
なにより日々の充足感は、結果ではなく
その経過そのものにこそあるのだから。
不幸と感じる源は、執着する不安が
帰結できる場所を求めて漂うというところに
ならば、道筋に執着しないで
手放しながら、自己の価値観を丁寧に紡いで重ねて
日々に、ただ少しの役割を果たせるよう
とってもエラそうだけれど、
そんなことを、つらつらと思うので、
成人の方へ向けて書いてみました。