野菜を一キロ分、細かく刻んでいます。
放射能の検査のために、今回は大根。
ひさしぶりなんですけど、
だんだん、測定が嫌になってきた部分があります。
嫌というと、問題あるし違うかな。
何が嫌かって、食べもしない野菜を
切り刻むのが嫌なんですね。
料理じゃないのに、切る。
で、つい丁寧にする必要はないから
ざくざくざつに切り刻む、その心もちがいやというか
せっかく育って、それを切り刻んで
測定して、なにも出ません、
というのが見えているのに作業として
ひたすら切る、意味など考えずこころを無にして切る
という感覚がいやというか。
前は使命感がありましたけど、
測定しても一度も出たことがない、
そのデータのために、する作業に
どうも虚しさを感じてしまうのは事実。
救いは、測定室の石森さんが
ぼくと同じような考えで、もったいないから
なにが嫌って、持ち込まれる切り刻まれた食べ物を
食べるのが、嫌なんだ、わかる?
と、切に語りました。ソーセージとか、
もとはソーセージだと想像て食べると言っていいました。
わかりますよー、意味違うけど
いやだっていうのは。
そんなこんな、放射能測定の測定は
今後もメインの野菜についてはしっかり保って
継続はしていきますが。
一時期の緊張感はなくなってきたというのが正直なところ。
もっともぼくのところは、県内の土を測定して
安心の数値を保っている畑からだけなので
安心というのが根底にあるからだと思います。
世間のどういう素性かわからないものが多いのだとまだまだ、緊張されている方も多いと思いますので
不幸中の幸いというか、いやそんなこといっちゃいけないか。
いい方難しいな。