販売の規模がおおきくなった無農薬農家が、安定を求め
低農薬になるということがあります。
ちょっと残念。
規模を追うとどうも。
大きくなろうとしたら、そうなりますね。
なんのために無農薬をやっていたのか
趣旨がたぶんぼくらとは違うとこからはじまっているのでしょう。
そんなふうなことでもわかりますが、いいものは 量はでないものですね、
いいものは目をかけて手間をかけてできるものだから。
言いかたはわるいですが、自然の中で見捨てるものも多いのが無農薬。
一方低農薬は数勝負 、傷んだり、虫に食われたり
自然の中でもとに戻るはずのものを、この世に引き止め
金になるように、使う農薬。
無農薬と低農薬、
それらの違いは単に農薬を使用しないか少ないか
の違いではないのですよ。
もっと大きな違いが背景にあるのに、それらをいっしょに並べたら
野菜も生産者も浮かばれません。
選ぶ側にとっても、ミスリードを招きます。
ふたつは一緒に並べてはだめです。
どっちかというと低農薬は農薬を普通に使う慣行栽培に近いもの。
低といっても強い農薬を数を減らして使う場合もあります。
すべて、量を安定してつくろうとすることから来る弊害です、
「もの」がよければ ある程度売れるからそれで
販売個人の生活はできるけれど、
たくさん売ろうとするとそうはいかない。
だから会社を大きくしようとしたら
ある程度以上 売れないとならないし
それは販売の努力が必要。
それはわかります。
問題は、いいものは少ないから逆に価格などがネックとなり
そこそこ いい ものをに、なっていき
そこそこいいを、いいものに見せた営業努力の差額は
販売会社などの儲けになるもの。
だから、よく見せようとするものにはどうぞ気を付けて。
それらは、不要な形容詞がおおく、形容詞をなくすと意味不明だったり、
あの…有名なとか、なになにさんのとか、
無添加といったり、能書きだけのことが多いです。
ところで、無農薬の味噌用大豆。
当初ミヤギシロメで、
ここ数年は秘伝を使っていましたが、
無農薬では豆が入らなかったので、
今回別の無農薬農家にお願いしました。
北海道。
いまの山形の秘伝豆はあと数キロしかないので、なくなったらおしまい。
今後の無農薬大豆は、品種がかわります。
丸くて中粒で肌色がきれい、みていると真珠みたいです。
いのち輝く、触れていてなんてあったかいんだろう。
無農薬の大豆は素肌美人誇らしげに輝きます。