ちょっと高めの
回転寿司に行きました。
メリーゴーランドみたいにまわっています。
やっぱり思うのは、
いろんな魚が「旬」も無視して
たくさんの種類が並んでいます。
やはりそういうふうにしたいと言うのは
企画する側からすると、分かるけど、
お客も魚の旬なんてしらないんでしょうし。
実際、食べてみると、そういうことなんだとわかることがあります。
とにかく品数があればいい。求める人が
いるなら。種類があればいい。
鮮度より、見た目。
味より、価格なんだと。
好きな寿司を安く食べられると言っても
これは寿司だといっていいのかな。
一方でぼくは、
ないものは、ないというのを仕事にしています。
いま、あるものを食べてください
そういう旬の中でだけで仕事をして生きています。
不思議な感じ。
一生懸命そうしていると、回転寿司の不自然さが
見えてきて、気持ちの中で妙に
あわなくなっています。
写真、しまあじ280円ですが
なんだか気のない、命がない味。
こういう豊かさは、幻想なんだろうな。
たくさんなんでもあることが
幸せなんだという価値観はいつまで続くんだろう。
ない、しあわせというのもあると思うんですが。