ときどき、小さなクルマで
配達にまわることがあります。
いつもの車が
壊れたと言うわけではなく
ときどき乗りたくなるんです。
そのクルマに。
そのクルマはぼくがやおやを始める前に
ちょっとクロウして買った車です。
小さくて、よく詰めるなあと
みんなにおどかれるほどの
およそこの仕事には似つかわしくない
大きな音の排気音の小さなクルマ。
積めないかもしれないのを工夫して
なんとか積むことを楽しんでやってきました。
taroマジックだと、農家さんに言われます。
大きければいいというわけでないと反コツ精神のようなもので
ちいさい、そのなかで工夫して配達をしていたとき。
積めないかもというのを工夫して積んだときの
大仕事終えたような安堵感や、
なにがどこにあったか、手をのばして
それをつかんだときの快感は、
おおきな空間の車にはないものです。
それは、積めないかもと言う不安におびえるのでなく
なんとかするという意思が、現実になる心地よさです。
こどものとき、
自転車で駄菓子を売りにきていたおじさんがいました。
おじさんの自転車には引き出しがいっばいあって
どこからなにが出てくるかわからずとても不思議でした。
こんな小さな空間から、大きな世界が飛び出す不思議でした。
そう、最初はいろんなことが いやとは思わず
なんでも わくわくしてやっていた。
できることが増えてきたけれど、
あえて、
ぼくはときどき、小さな車で回ります。
もうほとんどは、駐車場で寝ているだけのくるまですが
ぼくにとってはとても大事な車です。
このクルマに乗ると気持ちはいつでも
あのときに戻れるんです。