ときどき、なんで無農薬野菜?
と聞かれます。
なんでこの仕事を?とも。
まじめに考えると、仕事をしてるというより
常に仕事を作っている気がするのですが
なんで無農薬野菜なのか
という問いの答えは自分の中にもっていて、
でも相手がわかるように答えるのは難しい。
相手がすでに持っている言葉や観念で
答えなくてはならないから。
たとえば、歩いているとき
どうやって歩いているか、考えてますか?
ロボットに歩き方を教えるのはそういうことだし
すでにわかっている人には、言葉はいらないわけです。
まるで、違う楽器で違うパートを、引きながら
全体としてオーケストラを演奏しているように。
自分の行く道をわかっていて
目的がいまの先にあるのなら
道に迷うことはないし、不安もないのです。
いますべきことをするだけです。
なんでこの無農薬野菜かという質問に対しての
ぼくの答えは、そのときそのひとによって違いますが
なにかそこから外れてはならないとても大事なものという気がするのです。