TAROやおや’s blog

仙台で無農薬の野菜をセットにして配達しているやおやです。

畑の思いを抱えて、街を耕す

holon

holon(ほろん)という考え方が 自分のなかにあります
ダブルスタンダードとは違いますが、視点が ひとつではない感じ 
    

ギリシャ語の「全体」と「部分」とを合わせたあるガクシャの造語なんですが、
自分の中にある感じ方を表すのにちょうどよくて、
愛着をもって10年くらいハンドルネームとして使っていたことがあります。   
 

簡単に言うと、全体からみるとある部分に過ぎない
その部分ですが、その部分からみると全体は
自分の発展系としてそこにあるというような、
全体の中でそれぞれのたくさんの部分で
それぞれが完結しているという、世界なんです。   
 

いろんな考え方、いろんな感じ方
それぞれが、自発的に自分で生きようとし、
そして全体としてひとつの機能を果たす   
 

内臓と人間のような関係でしょうか。
人間からみると胃という部分の内臓がなければ
人間としても生きていけないが、
内臓から見ると、胃は胃として
役割を果たすことで完結してしまっている。
人間は部分の発展系ともいえる世界。
それぞれは全体であり、部分であるというような。
ちょっと哲学的かもしれないですが、   
 

現実的にたとえば
ネットワーク論としてこの言葉を噛み砕いてみるときも
このことはとても意味があることです。
たとえば、holon的にぼくの思うネットワークは
それぞれが、単独としてなりたっている、
違うものどうしの結びつきが大事なのであって
同じ物どうしの結びつきは、
ネットワークとしては意味がないと感じるわけです。   
 

具体的になにかを当てはめてみることより、観念的な
ことだと思うので、これ以上は避けますが
違うものを排除せず、同じもの同士が固まらず、
それぞれがそれぞれの役割を
自分の考えにおいてし
違う方向を向いているようで、同時に
それらが社会の中で、機能しているという
ことにもとらえられるので
異端であることも、すごく肯定的に感じられて
好きな世界観です。   
 

いま、そうしている「部分」が
「全体」であるという、言葉。
holon 
いま、自分がそうしている「こと」が 
「すべて」である、と感じることが  している意味を
身近に引き寄せて、ぐるりといつしか 
見えない何かと感覚はつながります。

基本セット5品1000円 標準セット6品1200円 満足セット7品1400円 大盛セット10品1950円 特盛セット13品2500円 他、ご要望に応じて苦手なものは他の野菜に入れ替えたり、追加注文可能です。